石畑隆の読書会日記

読書会の広報用ブログです

【読書会レポート】第8回キムリッカ『現代政治理論』読書会-第6章 コミュニタリアニズム(前半)

第8回キムリッカ『現代政治理論』読書会は1/25(木)に田町で行われました。

キムリッカ読書会は、私が簡単なレジュメに基づいて内容を部分ごとに要約し、それについて疑問点や意見を出していただく形で進行しています。レジュメをご覧になりたい方は、キムリッカ第8回(1.1).pdf - Google ドライブを参照してください。レジュメの記述はかなり簡潔になっていますが、読書会では口頭での補足を加えながら進めています。

 

対話ログ

 

今回は以下のような意見が出ました。私の要約が不正確な部分があると思いますので、その場合はご指摘ください。

  • ライプニッツ*1も、最善世界を想定している点で明らかにコミュニタリアンである。
  • 完成主義*2に関する議論を読んで、カント*3の第三アンチノミー*4を連想した。他人が「満足した豚」であるように見えることはあるが、別のパースペクティブから見ると「その人には合理的な根拠があるかもしれない」と考えることができる。完成主義と反完成主義の見解の相違は、それぞれのパースペクティブの違いに由来するのでないか。
  • 酒やタバコに課税することで、間接的に人々の生き方に影響を与えようとする政策はリベラルの批判するパターナリズム*5に当たるか。
  • 自己は社会慣習に埋め込まれているという前提は、ニーチェ*6的なものであり、ハイデッガーも前提とする。しかし、彼はそこから個人は社会慣習を疑うことができるというカント的な立場を導こうとする。
  • キムリッカは、選択の自由それ自体に価値があるとすると、朝起きるごとに生きるか死ぬかを決断する極端な実存主義に陥ってしまうとするが、私は実際にそう生きていて、それは普通のことだと思っていた。
  • キムリッカは自由それ自体に価値があるとすると私たちの行為は気まぐれなものになってしまうとするが、安定したものがよいと考えるのは古代ギリシアから続く誤った考えだ。すべては不安定であるべきだ。
  • 自由はそれ自体としてよいものだ。約束をすると、自分の可能性はそれによって狭められてしまう。だから、私は約束をなるべくせずに生きている。
  • リベラルな社会制度がよいとアプリオリ*7に言えるか。誰もがそうだとわかる天使が世界中にに降りてきて、「キリストは救い主だ」と言ったとしたら、宗教的対立はなくなるはずだ。そのときでも宗教的寛容は必要か。
  • リベラル・コミュニタリアン論争は、ヨーロッパなどで移民への排斥運動が進む現代においては、アクチュアルな意義を持っていると思う。

 

まとめ

 

今回は、ハイデッガーをはじめとしたドイツの哲学者とコミュニタリアンを比較する意見が多く見られました。リベラル・コミュニタリアン論争は、北米の政治状況を反映しながら、ローカルな対立にとどまらない魅力があると感じます。

次回は、2/9(金)19:00から池袋駅付近の貸し会議室で第6章8-11節を読みます。引き続きコミュニタリアニズムについての箇所で、ナショナリズムについても論じられます。関心のある方は石畑隆(いしはたたかし) (@ishihata_purple) | Twitterまでお気軽にご連絡ください。

*1:17世紀ドイツの哲学者。主著『モナドロジー』(訳多数)。

*2:特定の完全な生き方を想定し、人はそれに近づいて行くべきだとする立場。卓越主義とも。

*3:18世紀ドイツの哲学者。主著『純粋理性批判』(訳多数)。倫理学者・政治哲学者としても知られ、現代のリベラリズムにも大きな影響を与えている。

*4:カントが示したアンチノミー(二律背反)のひとつ。「人には自由意志がある」という主張と「人には自由意志がない」という主張がどちらも有効に根拠づけられうるとするもの。

*5:その人自身にとって不利益であるという理由で他者の行為に干渉すること。リベラルは、伝統的に他者に対する危害に当たる場合のみ社会や国家による干渉が正当化されると論じてきた。

*6:19世紀ドイツの哲学者。主著『ツァラトゥストラ』(訳多数)。

*7:ラテン語で「より先のものから」の意味。カント以降、「経験的なものに依拠しないで」という意味で使われる。